●深センはキャッシュレスで過ごせる!?
ポイント還元制度の追い風もあり、日本でも本格スタートした「モバイル決済」。私もスマートフォンと非接触型ICカードの二刀流で実践していますが、いくばくかの現金は常に持ち歩いています。まだ現金オンリーの店舗も多いですからね。一方、海外には現金を授受する習慣が完全に廃れた地域があるとか……その最先端ともいえる中国・深センを訪ねる機会があったため、現地のモバイル決済/キャッシュレス事情をレポートします。
今回の出張は珠江デルタ(珠江河口の香港、広州、深セン、東莞、マカオを結ぶ三角地帯)にあるエレクトロニクス企業数社を訪ねるというもの。深セン市内にも空港はあるものの日本からの直行便は少ないため、まず隣接する香港へ飛びそこから移動するというルートを選びました。
香港から深センへ移動する手段はいくつもありますが、今回は香港国際空港からフェリーで深センの蛇口(シェイコー)へ渡る方法をチョイス。デモがさらに活発化する兆しもあった香港の状況を考慮し、無難な判断を下しました。
香港はスルーするから香港ドルは不要、必要なのは中国人民元のみ。しかし、今回巡る深セン・東莞は名だたるモバイル決済先進地域、現金がなくても困らないという事前情報を入手していたので、悩んだ挙げ句一切両替しないという選択をしました。
私がとった方法は、日本円(約2万円)にアメリカ出張で残った米ドル(約100ドル)をくわえた現金を財布に入れ、いざというときの両替に備えつつ、モバイル決済用に「アリペイ(支付宝)」のアプリを用意するというもの。2019年11月、中国当局の規制緩和方針を受け、上海銀行のプリペイドカードサービスを観光客向けに提供する「Tour Pass」を開始したからです。
中国のモバイル決済は、アリペイとWeChat Pay(微信支付)の2社が全体の95%近くを占めており、どちらか一方を利用できれば困らないと聞きます。出発時点でWeChat Payが観光客向けサービスを開始していなかったため、消去法でアリペイ/Tour Passを選択することになったわけです。
もう1つ、忘れてはならないのが通信手段。日本で利用しているキャリアの国際ローミングサービスにするか迷いましたが、中国聯通香港のプリペイドSIMを用意しました。珠江デルタであれば4G通信がOK、開通後8日間利用できます。容量5GBのところキャンペーン期間中は+2GBの7GB、これならテザリングでPCも使えそう……ということで、SIMフリーのAndroid端末に挿してモバイルルータ代わりに使うことに。iPhoneも持参したので、万が一端末を紛失しても困りません。もちろん、どちらの端末にもアリペイアプリはインストール済です。
●いざ、深センでモバイル決済
蛇口から宿泊するホテルがある地下鉄7号線・皇崗村駅までは、現地コーディネーターが手配してくれたクルマで移動し、チェックイン後に周辺の店舗を物色開始。この皇岡村駅は2016年秋に開業したばかりの新しい駅ですが、周辺はある程度の年月を感じさせる建物が多く(とはいえ改革開放以降に建設された築30年以内のものばかり)、モバイル決済普及前からあること確実な佇まいの店舗が大半を占めます。
まずは便利店(コンビニエンスストア)から。冷蔵庫から取り出した価格4元のビールを店員さんが座る机の前に置くと、端末に金額が表示され、QRコードの読み取り装置にかざすよう手で促されます。アリペイでの支払いは初めてなのでモタついていると、なんだこの人はという表情の店員さんがアプリの「Pay」ボタンをタップしてくれました。アプリに表示されたQRコードを読み取り装置にかざせば、電子音とともに支払い完了です。
バーコードリーダーではなく据え置き型の読み取り装置を使うことを除けば、日本のコンビニで○○ペイを使うときと変わりませんが、店員側に「当然QRコード」という態度が見えるところが大きな違いでしょうか。日本は利用する決済方法を口頭で伝えないと、暗黙の了解で現金支払いになりますが、こちらでは黙っていればQRコードです。
日本の下町にあるような果物屋も覗いてみましたが、やはり支払い方法はQRコード一択の模様。柱にQRコードが印刷された紙が雑に貼られており、買い物客はそれをスマートフォンでスキャンし、なにやら(おそらく暗証番号を)入力しています。数分店先をうろつき様子を伺いましたが、現金で買い物する客は1人もいません。
飲食店も同じ。ファストフード店の店頭にはQRコード読み取り装置が設置されているだけで、レジスターは見当たりません。着席式の店舗でも、食事を終えるタイミングでQRコードが印刷されたレシートが渡されるので、それをアプリでスキャンすればOK。現金を受け渡しするカウンターすらありません。当地では財布を持ち歩かない人も少なくない(実際、複数人に確認)のですから、むしろ自然な成り行きです。
ところで、深センでは飲食店の店先で「街電」や「来電」と書かれた装置をよく見かけました。これは、どこで借りても返してもいいモバイルバッテリー共有サービスの装置で、LightningやType-Cなど各種端子に対応しています。決済は完全にスマートフォン任せ(装置のQRコードを読み取るだけ)だから管理コストも抑えられるという、QRコード決済にとてもよく馴染むサービスではないでしょうか。
●公共交通機関にキャッシュレスで乗車
地下鉄にも乗ってみました。深セン地下鉄には「深セン通」という非接触型ICカードがあり、駅に設置された自販機で買ったりチャージしたりできるのですが、これもQRコードで購入できます。飲食店やコンビニといった民間の店舗は、アリペイとWeChat Payの二択でしたが、公共交通機関だからか現金払に対応するうえ、龍支付(中国建設銀行のサービス)やQQ銭包(中国で高い普及率を持つチャットサービス)といった他のQRコードにも対応していました。
一方、1回きりの切符(コイン状のトークン)を買う券売機は、アリペイとWeChat Payと深セン通の3種に対応。現金も使えますが、飲食店が前述した状況ですから、利用者はほとんどいないと思われます。そもそも、当地の人は皆「深セン通」を持っているのか、そもそも券売機に並ぶ人がいません。今回の出張では6回地下鉄を利用しましたが、私以外に自販機/券売機を利用している人を見かけませんでした。
タクシーは「DiDi」が普及しています。日本にも進出済ですから詳細の説明は避けますが、ざっくりいうと「呼べば現在位置に配車してくれるアプリ」。こちらもQRコード決済で、現金の授受は必要ありません。しかし、人気の理由は他にあるようで、同行してくれた通訳のQさんによれば「誰のクルマか履歴が残るし明朗会計で安心」だから支持されているとのこと。なるほど、うなずけます。
駐車場料金の支払いもQRコード。送迎のクルマがオフィスビルに併設された駐車場を出る様子を観察していたところ、柱に掲示されているQRコードをアプリで読み取り支払いしていました。ここでも、決済手段としての現金は完全に無視されています。
高速道路の料金も、基本はQRコード決済です。ゲート横のボックス(有人)にある読み取り装置にアプリのQRコードを読み取らせるのですが、クルマから手を伸ばす形になるのでなかなかうまくいかないことも。日本のETCのほうが格段にスピーディです。もっとも、通訳のQさんいわく、ナンバープレートの自動スキャンで高速料金の支払いを行うシステムも導入され始めているのだそう。すべてをQRコード決済で解決しようとしているわけではないようです。
●QRコード普及の背後にあるもの
久しぶりに訪れる珠江デルタでしたが、とにかく都市の集積度と開発スピードが凄まじい。街中至るところ工事中で、スクラップ&ビルドが繰り広げられています。それが深センから隣接する東莞までの数十キロ、延々続くのですから。街中は交通量が多く、日本と比べるとクラクションのけたたましさが気になりますが、バイクもクルマも電気化が進んでいるからか空気は予想以上にクリーンです。
不動産価格にも唖然。食事に立ち寄った市中心部・霊芝公園付近のショッピングモールで、何気なく付近の住宅(中国の都市部に戸建てはほぼ存在せず、いわゆるマンション)の相場を訊ねたところ、3LDKくらいの広さで2億円前後とのこと。日本の不動産に割安感を覚える中国人が多いのも納得です。
それにしても、なぜここまで急速かつ徹底的にQRコード決済が浸透したのかが気になります。通訳のQさんにいろいろ質問してみましたが、政府・共産党の方針もさることながら、末端の現金授受決済システムが未整備なところにスマートフォンが登場したことが大きいようです。小規模店舗の多くはレジスターを導入した経験がなく、QRコード決済が普及するまでは机の引き出しにそのまま現金を入れていたとのことですから、安全面も評価されているのでしょう。
今回は見かけませんでしたが、改札の通過もQRコードでできるようになるとの話があります。さすがにスピードが要求される改札でQRコードは非現実的では? と考えていたところ、実際に利用してみてそうでもないことがわかりました。セキュリティです。どの駅でも改札前にゲートがあり、黒服の警備員(当然公務員)が入場する1人1人をチェックするのです。空港ほど厳重ではありませんが、手荷物もCTスキャンされます。そこにかかる時間のほうが長いので、QRコードの読み取りで立ち止まることなど些細なことなのでしょう。
深セン最終日に実感したのは、QRコード決済は通過点ということです。確かに、猫も杓子もスマートフォンにQRコードという状況ですが、おそらく彼らは技術のリプレイスを躊躇しません。合理的と判断すれば、一斉により優れた新技術への移行を促すことでしょう。QRコードの普及ペースがその証拠ですし、前述したナンバープレートの読み取りによる高速道路料金の決済も一例です。それだけの力があるのです。
その「彼ら」とは……我々をビッグ・ブラザーのごとく見つめる気配です。たとえば、駅の通路や工事現場のフェンスに貼られたポスター、駅や空港のデジタル・サイネージ、通りの要所要所に立つ黒服の人たち。そして街中を注意深く見れば、至るところにカメラが。そういった"背景"まで考慮すると、いまだに現金が主流の日本社会もそう悪いものではありませんよ。