想像してほしい。もしも視覚障がい者の目に「見える」力が備わったら。
10月16日、千葉県の海浜幕張駅でロービジョン者である杉内周作と待ち合わせた。幕張メッセで開催されたエレクトロニクスの展示会、CEATEC(シーテック)を見学するためだ。杉内は、現在、富士通のスポーツ・文化イベントビジネス推進本部に籍を置きながら、アテネパラリンピック男子400メートル自由形リレーで銅メダルを獲得した能力を活かし、パラ水泳のコーチも務めている。
ロービジョン者とは、全盲ではないが視覚障がいがあるため、生活になんらかの支障を来たしている人々の総称。2007年の日本眼科医会研究報告によれば、日本には推定164万人の視覚障がい者が存在し、全盲でない人々をのぞくと145万人がロービジョン者で、視覚障がいによる経済コストは推定約2兆9000億円にものぼるという。
駅から幕張メッセまで徒歩で向かうと、杉内は杖を使用しているものの、足取りは軽く、健常者と変わらない。いや、それ以上のスピードで歩く。杉内にはどのように世界が見えているのか。歩きながらそんな疑問をぶつけると、「目がカメラだとたとえると、画素数の低いカメラで見ている感覚です」という答えが返ってきた。
「つながる社会、共創する未来」をテーマとした今年のCEATECでは、5GやIoTを使った製品やサービスの展示が目立つなか、光技術を利用し、社会課題に挑む企業がある。杉内が製品開発のアドバイザーとなっているQDレーザだ。
同社は、富士通の研究所に勤務していた菅原充が富士通と三井物産ベンチャーキャピタルの出資を受け、2006年に設立したスタートアップ。その期待度は高く、現在までの調達資金額は88億円にものぼる。
"人の可能性を照らせ"という企業理念のもと、「光技術を利用した新しい製品をつくることで、社会の進歩や社会課題解決をビジョンとしている」(菅原)という。そのビジョンのもと、網膜投影型ARデバイス「RETISSA Display」や、量子ドットレーザ技術をベースにした半導体レーザなどを世に送り出している。
新型 RETISSA Display (試作カメラオプション付き)を装着した杉内
20年ぶりに明るい景色を歩く
QDレーザのブースで、杉内は手慣れた様子で最新型のRETISSA Display(RETISSA Display Ⅱ)を装着する。このメガネ型デバイスは、「網膜走査型レーザーアイウェア技術」という目の網膜に直接映像を投射する技術を用い、極度の近眼など前眼部の屈折異常に起因する視力に課題のある人たちの見え方を補助する。
デバイスを装着し、会場内を見て回る。すると、駅から会場まで颯爽と歩いてきた杉内は、同伴した富士通社員の肩に手を置きながらゆっくりと歩き出した。日常では、資料などの近くのものを見る時にだけ利用しており、デバイスを装着したまま歩くなどの動作を行わないため、違和感があったようだ。
「普段は、明るいところでもサングラスをかけたような風景にしか見えないので、久々に明るい会場内を歩くことができ、懐かしさを覚えました」と、まるで20年前の病前に戻ったような感覚だと感想を語った。
RETISSA Displayを装着し歩く杉内
杉内は、約20年前に網膜色素変性症と診断され、ロービジョン者となった。網膜色素変性症は目のなかで光を感じる網膜に異常が見られ、夜盲、視野狭窄、視力の低下が徐々に進む病。それまでも多少の近眼や乱視はあったものの、メガネなどの補正をせずに生活を送り、車の免許も所持していた。
ところが、視野の低下などを感じ、受診したところ網膜色素変性症であることが判明した。
はじまりはロービジョン者の声
「網膜走査型レーザーアイウェア技術」のように、光で網膜に映像を投影する技術の原型は、1980年代にすでにアメリカで開発されていた。しかし、当時のデバイスはヘルメットほどの大きさで、とても日常での使用には耐えなかった。
菅原がこの技術に着目したのは2012年。同社が持つ最先端のレーザ技術の利用により、軽量化や小型化、高性能化が可能と確信し開発を始めた。当初は健常者向けの製品開発を目指していた。
転機が訪れたのは2014年。網膜投影技術の試作機を東京大学での展示会でデモ展示したところ、視力に問題を抱えた学生たちを教育、支援、研究している大学の先生から「ぜひ使ってみたい」と連絡を受けたことだった。
当初、菅原はそうした視力に問題を抱える学生たちの役に立つのか半信半疑だったが、それは杞憂に終わった。
試作機を学生たちに試してもらうと「よく見える」と喜びの声が上がったのだ。この時、菅原は「これを製品にすれば、視力に問題を抱えた人たちの役に立てる」と考えた。その後、さまざまな展示会でも、同様の声を聞き、網膜投影技術の有効性を確信することに至った。
また同時期に、高齢化を迎える日本で、眼の病気が急増することも知った。緑内障や白内障、眼底の変化による加齢黄斑変性症などの眼の病は、加齢とともに進行するため、今後社会問題化すること必至だ。視力に問題を抱えた人々、高齢化に伴い不可逆的に発生する眼の病という社会課題に対し、2015年秋から厚生労働省へアプローチし、医療機器認証を本年度中に目指している(臨床試験はすでに終了)。
QDレーザの最新のプロトタイプは、メガネ部分が約60グラム、コントローラが約260グラムと大幅な軽量化、小型化に成功している。
2019-11-14 16:46:53