スティーブ・ジョブズの下でiPodとiPhoneの開発チームを率い、アップル退社後はAI搭載サーモスタット(室温調整器)のネストを創業。人気ブランドに育てた後グーグルに売却し、現在は投資・アドバイザリー会社の経営者――。
順風満帆の人生に思えるが、トニー・ファデル氏に言わせれば前半生は失敗の連続だったという。そこから学んだイノベーションの極意をまとめた著書『BUILD:真に価値あるものをつくる型破りなガイドブック』を上梓したファデル氏に、ものづくりをするにあたって、実は多くの人が忘れがちな、最も重要なポイントについて聞いた。
失敗から何を学んだかについて語っている
――シリコンバレーの著名CEOによる本はたくさんあるが、『BUILD』ならではの価値はどこにあるのか。
本書を書くうえで意識したのは、自伝にしないことだ。自分がどれほど偉大で完全無欠な人間かを語ることの多いシリコンバレー本とは対極にあるといえるだろう。この本では成功より失敗について、失敗から僕が何を学んだかについて語っている部分のほうが多い。僕はこれほど多くの失敗をしてきた、みなさんが考えている以上にふつうの人間なんだ、と。
――伝説のエンジニアの著書というのでモノづくりの本かと思ったが、個人のキャリア形成から経営論まで多岐にわたる内容だった。
iPodのような製品をつくるノウハウを知りたいと本書を手に取る読者に、「大切なのはそこじゃないんだ」と伝えたい。そんな思いを込めて「BUILD(つくる)」というタイトルをつけた。
本書のテーマは人間性だ。自らのキャリア、事業のアイデア、チームや会社、仕事以外の人生をどのようにつくっていくべきか、他者とどのようにかかわるべきか。そうした基本ルールは世界のどこであろうと変わらない。こうしたさまざまな要素を整えずに、価値あるモノを生み出すことはできない。
Tony Fadell(トニー・ファデル)/1969年生まれ。スタートアップ企業ゼネラルマジックで30年にわたるシリコンバレーのキャリアをスタート。2001年iPodの開発責任者としてアップルに入社。2007年にiPod部門シニアバイスプレジデントに就任、また初代iPhoneのハードウェアと基本的ソフトウェアの開発チームを率いる。2010年アップル退社後ネスト社を立ち上げ、2014年にグーグルが32億ドルで同社を買収。2016年にネスト退社後、現在は投資・アドバイザリー会社ビルド・コレクティブを率い、約200のスタートアップ企業にコンサルティングとサポートを行っている。(写真:早川書房提供)
――本書を執筆した理由に「起業家に必要な常識が均等には行き渡っていないため」と書いていたが、具体的にどういうことか。
一番重要なのは、何をつくるかにかかわらず、まずは「人(利用者)」について考えることだ。誰のために、なぜつくるのか、解決すべき問題は何か。人がモノを買うのは、それが自分の抱える問題を解決し、満足させてくれるからだ。
だから技術について考える前に、人々がどんな問題を抱え、どうすれば満足するかを理解しなければならない。大方のテック企業の考え方とはまさに逆だ。もちろん技術も財務も重要ではあるが、詰まるところは「人」である、というのは忘れられがちだ。
ジョブズから「学んだこと」
――スティーブ・ジョブズ氏のアップル、ラリー・ペイジ氏率いるグーグル(現アルファベット)の両方で幹部を務めた経験も本書の読みどころのひとつだ。ジョブズ氏から学んだ最も重要な教訓は何か。
とにかく「ノー」と言い続けることだ。それによって「イエス」という言葉が本当に意味を持つようになる。社員を何かに集中させ、全員の意識を合わせるためには、ごく少数の「イエス」以外には「それはやらない」と言わなければならない。何でも「イエス」と言いたがるリーダーは多いが、それは何も重要ではないと言うのに等しい。
一方、反面教師にしているのが、チームの功績を認めなかったことだ。スティーブには「そんなアイデアは最悪だ」と部下の意見をけなした翌日、「すごいことを思いついたぞ!」とほぼ同じアイデアを自分のもののように語る悪癖があり、そのたびに僕らは「マジかよ」と顔を見合わせたものだ。誰かが優れた意見を出したときには「すばらしいアイデアをありがとう、それを土台に進めていこうじゃないか」と認めなければならない。
「何を」つくるかばかりに目が向いている
――製品開発においてストーリーテリング(ユーザーがなぜ、どのように製品とかかわるか)を重視する姿勢もジョブズ氏と重なる。
ストーリーの重要性に気づいたきっかけは、社会人になって最初に就職したゼネラルマジック社だ。アップルより15年も前にiPhoneをつくろうとしていた先端的企業だったが、そこにはストーリーがなかった。
技術を使って「何を」つくるかばかりに目を向け、「なぜ」つくるのか考えなかったのだ。最後にようやくストーリーを考えたが、架空のユーザーにもとづく作り話に過ぎなかった。
この失敗を通じて、ストーリーテリングに時間をかけるべきだと学んだ。アップルでスティーブにiPodのアイデアをプレゼンする頃には「なぜ今、この製品が必要か」をきちんと語れるようになっていた。
スティーブがiPodやiPhoneのストーリーを巧みに伝え、顧客との関係を築いていく姿を間近で見て、ネストでは創業当初から製品のライフサイクルを通じた顧客とのかかわりを「カスタマージャーニー」として明確に描いていた。
――本書ではネストをグーグルに売却して以降の混乱を赤裸々に綴っている。場当たり的な買収戦略、社員への手厚い待遇など、グーグル流の経営にはかなり辛辣だ。
大方の人がグーグルを評価するのは、株価しか見ていないからだ。株価が高いのは広告ビジネスという金のなる木があるからだが、広告以外にひとつでも本物のイノベーションを生み出しただろうか。
ユーチューブは買収した事業であり、スマートフォンのピクセルをはじめハードウェアはうまくいっていない。キャッシュが有り余っているから、他の収益源を育てようというプレッシャーが働かないのだ。
グーグル関係者からは「よくぞ書いてくれた」という声をたくさんもらっている。
アマゾンのスマホは誰も求めていない
――アマゾンCEOだったジェフ・ベゾス氏にスマートフォン開発を検討していると相談されたとき、「やめておけ」と進言し、アマゾンの取締役になるチャンスを棒に振ったというエピソードもあった。
アマゾンに限らず、メタ(旧フェイスブック)もスマートフォンを作ろうとしたが失敗した。重要なのは自らの強みをしっかり理解することだ。ある分野で秀でているからといって、別の分野でもうまくいくわけではない。
アマゾンを大好きなユーザーでも、アマゾン製ハードウェアを好きになるわけではない。他社の開発した優れたハードウェア上で動くソフトウェアを提供すれば十分なこともある。
突き詰めれば、iPhone以外にスマホ市場で利益を出せる企業はない。本書の副題は「型破りなガイドブック」となっているが、僕がほかのCEOと違うのは、全体を見る目を持ち、非現実的な大風呂敷を広げないところだ。
システム全体を俯瞰する見方が不可欠
――全体像を見る目はどのように培ったのか。
大学の専攻はシステム・エンジニアリングだった。ハードウェア、ソフトウェア、メカニカルな要素、ネットワークなど、すべてを小さなデバイスというパッケージに詰め込もうとすれば、ここはソフトウェアに任せて、こちらはハードウェアに組み込もうという具合にたくさんのトレードオフが必要になる。システム全体を俯瞰する見方が不可欠だ。
しかも最初に就職したゼネラルマジックは、インターネットやWi-Fi、モバイルデータすら存在しない時代に自らハードウェア、ソフトウェア、サービス、ネットワークやライセンシーを含めたシステムをつくろうとしていた。僕は常にシステム思考を実践してきたし、それを製品開発だけでなく事業運営や会社経営にも当てはめるべきだと思っている。
技術者は往々にしてパズルを構成する1つひとつのピースしか見ていない。それを最後に無理やりくっつけようとするからウィンドウズマシンのようなものができあがる。
ソニーやサムスン電子も同じで、僕の見たかぎりソニーでシステム思考に基づくプロダクトはプレイステーションくらいだ。企業経営者でもこのような思考に陥っている人が多い。
2023-08-15 19:41:14