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世界的サイバー法学者が語る「web3の前に考えたいWeb2.0の問題点」

現在のウェブで主流の中央集権的なWeb 2.0企業に対して、暗号通貨やNFT(非代替性トークン)、DeFi(分散型金融)などの基盤技術である、ブロックチェーンや分散型台帳を使って分散型のネットワークを築こうとする取り組みに注目が集まっている。通称、「web3(Web 3.0)」と言われるものだ。その定義や実態に賛否渦巻くなか、web3の領域に、社会のさまざまな領域から多くの人が参加するようになっている。是非はさておき、この技術領域と概念の進化は不可逆的なものだろう。

透明性が高いテクノロジーとはいえ、イノベーションが阻害されることなく、公正な競争を促すには、概念と技術に則した「ルール」が必要となる。ただ私たちが生きてきたWeb2.0の歴史からもわかるように、そうした規制を設けるのは容易ではない。web3という新しい局面に進む前に、振り返っておくべきWeb2.0の本質的な問題点とは何か? 

2019年6月下旬、筆者はデジタルガレージ社主催の「THE NEW CONTEXT CONFERENCE 2019」にて、サイバー法学者で、『REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方』(邦訳:翔泳社刊)などの著作を多数もつ米ハーバード大学のローレンス・レッシグ教授と話す機会を得た。

レッシグは、インターネット黎明期からデジタル・コンテンツの利用に関してさまざまな社会的な議論を促してきただけでなく、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが発表した調査報道、通称「フェイスブック・ファイルズ」で知られる、2021年に起きたフェイスブック元幹部フランシス・ホーゲンによる内部告発などでは、ホーゲンを法務の面で支援するなど、インターネットにおけるユーザーと企業、公共空間のありかたについて深くかかわってきた。

中央集権的な社会構造を分散化する可能性を秘め、インターネットとリアルが融合する━━。そんな次なるフェーズとされるweb3に進む前に、レッシグが鳴らした警鐘をここでご紹介したい。web3はあらゆる問題の“特効薬”などではなく、Web 2.0が内包する本質的な問題点は、web3の足枷になるかもしれないからだ。

また2022年6月14日(火)には、デジタルガレージ社主催のイベント「THE NEW CONTEXT CONFERENCE 2022」が「web3 Summer Gathering 〜未来からのテクノロジーの波をサーフしろ〜」をテーマに開催される。世界各国で 150 以上のメタバースやNFTに関する企業やプロジェクトに投資している「Animoca Brands(アニモカ)」共同創業者兼CEOのヤット・シウをはじめ、多くのweb3業界の有識者が登壇を予定している。「web3」が実現する分散型社会の未来とテクノロジーについて考える貴重な機会になるに違いない:https://ncc.garage.co.jp/

井関 庸介(以下、井関):『REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方』を上梓した2009年頃は、『インターネットが死ぬ日』(邦訳:早川書房刊)の著者でハーバード大学の同僚、ジョナサン・ジットレインと共に、インターネット上のコンテンツ利用のありかたや、企業による囲い込みについて疑義を示した最初の一人でした。あれから10数年経ちます。企業とユーザー、それぞれのインターネット上のコンテンツ利用に対する理解はどのように変わりましたか?

ローレンス・レッシグ(以下、レッシグ):いくつか重要な変化があったと思います。1点目は、インターネットという公共空間から企業が規制する「コンテンツの島」に移ったこと。私たちは、インターネットからフェイスブックとグーグルが管理する社会へ移りました。例えばフェイスブック上のコンテンツは、グーグルやアマゾン、スポティファイ上とでは異なるルールのもとで運営されています。その結果、企業がコンテンツを管理・規制するのが容易になりました。

2点目は、企業にとって規制が極めて効率的になった点です。少なくとも、規制できる範囲が広がりました。ユーチューブでは、クリエイターが著作権を侵害されたり、あるいはコンテンツの収益化を無効にされたりした場合、異議申し立てがしやすくなりました。後者の例で言えば、配信したコンテンツ内に、他者が著作権をもつ音楽が含まれていたなどが原因で、クリエイターはその動画から収益を得ることを無効にされます。これは10年前と比べたら劇的な変化です。当時は、「規制する手立てがない」と考えられていたからです。

その一方で当時の私たちが恐れていたのは、こうしたテクノロジーを過度に規制するインセンティブの大きさです。じつは本当に懸念すべきは過小な規制ではなく、過剰な規制です。思想的な自由を制限し、イノベーションの進歩を阻害する可能性があるからです。今は逆に、そうした過剰な規制のほうを心配すべき状況でしょう。例えば、日本でマンガの配信について議論した際、マンガのスクリーンショットを撮ることすら規制する声も上がりました。規制しようとする背景にある動機よりも、こういった極端な規制そのものにより注意すべきではないでしょうか。

井関:アップルがiTunesやApp Storeを導入したことでデジタルのコンテンツ市場全体が整備され、インターネット上のコンテンツ利用に対する理解も変わりました。こうしたサービスを運営するテクノロジー企業を監督することで、無法地帯だった黎明期と比べ、間接的ながらも、よりクリエイターを保護しやすくなった面もあると思います。企業の立ち位置や取り組みについてはどうお考えですか?

レッシグ:私が『REMIX』を書いていた頃にまだ顕在化していなかった問題点の一つに、「広告配信」というビジネスモデルがあります。06年頃は、広告がインターネット上の中心的なビジネスモデルになるというふうには考えていませんでした。仮にいたとしても、まだ少数派でした(編集部註:グーグルがインターネット広告配信企業「ダブルクリック」を買収したのは07年)。ところが現実には、「広告ビジネスはしない」と断言していた創業者たちが立ち上げたグーグルが、広告ビジネスの上に基礎インフラを作ることの魅力には抗えなかったわけですね。

その結果、広告配信に依存するビジネスモデルができあがってしまいました。それも、道路脇に立っている立て看板のような“受け身の広告”ではなく、ユーザー自身の嗜好に基づいて広告が追いかけてくる“攻めの広告”が生まれたのです。フェイスブックがその最たる例でしょう。フェイスブックのビジネスモデルは、ユーザーが自分自身に自信をもてないよう不安にさせるというものだからです。なぜなら、人は不安になればなるほど、自分の弱みをさらけ出すからです。そして自分自身をさらけ出せば出すほど、企業はターゲット広告がしやすくなります。だから、彼らの広告アルゴリズムはある面、ユーザーの不幸に基づいているとも言えます。

レッシグ:そのとおりです。心理的な弱みを食い物にしているのです。ユーザーは、ソーシャルメディアの渦の中、他のユーザーとの比較を通じて劣等感を覚えて不安になり、自分がしたことや、自分の交友関係についていっそう多くの投稿をするようになります。これは企業の思うツボです。ユーザー自身が勝手に“負のスパイラル”に落ちていく競争を始め、企業はそれでターゲット広告を打ちやすくなります。

ただ、これは社会にとっては非常に有害です。戦争や飢餓を終わらせたり、気候変動を止めたりするなどの壮大な目標を達成するならまだしも、単に広告収入を増やすためですから。これも規制がいかに足りていないかを示す、わかりやすい例です。そしてどこまで規制できるのか、疑わしい面もあります。

井関:グーグルやフェイスブックは、このビジネスモデルに依存しています。より効率的で効果的な収入源はまだ見つかっていないようですね。

レッシグ:インターネット広告配信のビジネスモデルに依存しているのは、それが最も利益率が高く、最も簡単に稼げる方法だからです。比較的少額の投資の割には利益率が高い、つまりROI(投資利益率)が抜群なのです。でも、これは決して新しい問題ではないですよね? というのも、過去には公害や環境汚染をしていた会社もROIがよかったからこそ、つまり、そちらのほうがビジネスとして割がよかったから放置していたわけです。モノを作った副産物として汚染がある、と。ところが規制が整備され、汚染を垂れ流すことへの罰則がコストの面で割に合わないものになるや、こぞって汚染対策をするようになりました。

インターネット広告配信のビジネスモデルも同じですよ。こうした“搾取”は非常に利益率が高いのです。だからこそ、規制やインセンティブ次第ではその利益率を高くも低くもすることができます。そして企業の良い点は、インセンティブさえ変えれば、指針や行動も変わるということです。会社という組織と性質には、“エゴ”がありません。自分たちのビジネスモデルに関して明確なコンセプトがあるわけでもなく、重要なのは市場の株主にリターンを出すこと。なので、インセンティブを変えれば、企業は自ずと行動を変え、儲かる領域に注力するようになりますよ。

それなのに、私はいつも戸惑わずにいられません。なぜなら、不合理な行動を取りがちなヒトとは異なり、インセンティブで動き、エゴがない企業のほうが規制しやすいからです。本来、私たちは企業に効率的な行動を取らせるよう規制するのが上手なはずです。それがなぜか、ヒトの罪に対しては厳格な割に、企業の罪に対しては寛容な面があります。でも、企業は規制に従うので厳格に規制を設けるべきです。

レッシグ:この問題の大きな原因の一つに、「制度的腐敗」があると私は考えています。少なくとも、米国ではそうです。きっと日本のように、より洗練された官僚組織がある国では事情が異なるでしょう。しかし米国では、規制する力がありません。なぜなら、肝心の規制当局の関係者、つまり規制する側が、将来的に規制される側で働きたいと考えているからです。転職する前にキャリアアップの一環で、規制側で働いている人も少なからずいます。つまり、「規制当局→企業」へとクルクル回る“回転ドア”なのです。

井関:それに、企業ロビイスト(圧力団体)もいますね。

レッシグ:ええ、企業ロビイストの存在もありますね。米連邦議会のことをその所在地から「キャピトル・ヒル」と呼びますが、今ではそれも(ワシントンD.C.にある通りで、多くのロビイストや圧力団体がオフィスを構えている)「Kストリート」の養成所みたいものです。誰もがロビイストになりたがっていますよ。あるいは、どうすれば規制を免れている会社で働けるか、ということで頭がいっぱいなのです。

例えば、米証券取引委員会(SEC)の中には、「どうすれば、規制当局の一員としてゴールドマン・サックスを公正に規制できるか?」と考えるのではなく、「ゴールドマン・サックスで働くことが最終目標」の人もいたりします。ひょっとすると、規制が難しい領域だから転職しているだけなのかもしれません。でも根本的な問題として、規制側にいることにインセンティブがないのも事実です。規制当局に従事する人たちが「公共の利益を守るために規制側に加わりたい。給与も大企業ほどではないにせよ、福利厚生が充実していて公務員としての安定性もある」というふうに考えてもらえるようなシステムが必要です。

井関:それは興味深い指摘ですね。これから気候変動や制度上の腐敗、社会制度の硬直化などの問題に直面する若年世代のほうが、共通善が失われていくことへの危機感が強く、テクノロジーの長短を理解しているぶん、問題意識が高そうですがいかがでしょう。世代や社会における立場の違いからそれぞれインセンティブが異なるので、社会としてベクトルを合わせていくのが難しそうですが。

レッシグ:インセンティブが異なるのは仕方がありません。でも、フェイスブックのような企業を規制するのは、米連邦議会に課せられている役割の一つですからね。ただ、そうした会社を規制する役割や方法を知っているかどうかだけではなく、それができる肝心の「ヒト」がいるかどうかも大事です。

例えば、人工知能(AI)の領域などがよい例です。シリコンバレーは今、世界のAI人材を吸い上げています。ほとんどの人たちがシリコンバレーに集まっているわけです。英国では、自国の優れたAI研究者がこぞって米国へ移住している惨状を嘆いています。

こうして、シリコンバレーはAIの中心地になろうとしているのです。すると当然、米国を中心に巨大化するAI領域を「米政府はどのように規制するのか?」という疑問が生まれるわけですね。もし仮に、まったく規制がない無法地帯のような状況下でAI研究が進む場合はどうなるのでしょうか。そして中国のように、10先を見据えてAIに関する戦略を立てている国と、明確な政策がない米国とを比較した場合、明確な政策や規制がある国に後れを取るのではないか、という問題も出てきます。個人のインセンティブ設計もですが、然るべきインセンティブや規制についても考えていく必要があるのです。

井関:ここにきて規制当局も遅れを取り戻し、規制に関する議論が活発化していますが、この動きを先導しているのがテクノロジー企業内で問題意識をもつようになった元社員であったりすることが多いです(編集部註:レッシグ教授は、2021年にフェイスブックを内部告発した元同社幹部フランシス・ホーゲン氏を法務の面で「限定的に支援」している)。当面は、個人による働きかけに頼るほかないのでしょうか。

レッシグ:まさに、“デジャヴ(既視感)”ですね。結局、歴史は繰り返されるのです。かつて音楽業界でも海賊版問題が生じた際、音楽レーベル内の一部の人が新しいビジネスモデルの可能性について提言しましたが、結局は実現しませんでした。問題は、こうした問題意識を抱えて解決しようとしている人が世界で1000人くらいしかいない点です。そして、この1000人足らずに問題を解決させようとするのはあまりにもナイーブです。それぞれが、勤めるテクノロジー企業で問題提起ばかりして、求められている業務をこなさないのなら、いずれはクビになるわけで、個人に期待できることにはどうしても限界があります。やはり、行政がきちんと役割を果たして問題解決に乗り出すべきでしょう。そして、今はその力が政府にはないことがわかっている以上、その事実を認識して作っていく必要があります。

井関:音楽業界のほかにも、リーマン・ショック(金融恐慌)以前の2000年代の金融業界でもデリバティブ(金融派生商品)などで似たようなことが起きていますね。制度がないのをいいことに、然るべき資質をもち合わせていなかったのか、リスクの認識に誤りがあったのか、どちらにせよ大きな過ちを犯しています。それと同じようなことが、いずれテクノロジー業界でも起こり得るということでしょうか。

レッシグ:本質的には同じ問題ですよ。あちらこちらの業界で複製され、そして再生産されています。それも、現在の米政府に戦略的思考が足りていないからです。長期的視点を犠牲にし、短期間で結果が出る決断ばかりを下しています。そして効果的なガバナンスには、長期的な視点が不可欠である点に気づかなければ、おしまいです。

米国で今、最も恐ろしいのが「政府など不要だ」と考える人たちが増えていることです。シリコンバレーの関係者に見られますが、「自分の面倒は自分で見るからいい」という人たちがいます。彼らのスタンスは、政府は不要で、気候変動や経済格差もインセンティブが働く企業が解決する、というものです。これなど、絶望的なくらいにナイーブですよ。社会が形成されてきた歴史についてあまりにも無知です。

井関:皮肉な話ですが、マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツのように、是非に関係なく、政府には協調せざるを得ないと知ることもあるのではないでしょうか。反トラスト法違反訴訟での苦い経験からか、マイクロソフトは近年、米政府の動向を観察しながら適度な距離感を保っているように思えます。

レッシグ:ビル・ゲイツは世の中をより良くしようと投じている驚愕の寄付金もあって、世界的に尊ぶべき慈善事業家の一人になりました。驚くほど気前がよく、より良い世界を築こうとする彼の献身的な姿勢は比類なきものです。

それだけに、もっと力を入れてほしい領域もあります。私は以前、マイクロソフトが開発したOS(基本ソフト)のウインドウズを引き合いに、彼に「あなたがたは、ビジネスとしてOSをより効率化することに腐心している。それはなぜか。より優れたOSに進化させることで、より多くの優れたアプリケーションを開発するインセンティブが開発者に生まれるからではないか?」と話したことがあります。でも、“米政府のOS”を見る限り、彼は政府のシステムの効率化にはあまりお金をかけていません。つまり彼は肝心のOSが機能していない世界で、医療や教育に多大な寄付をしているわけです。

そこで、効率化するべくもう少しだけ政府にお金を回してくれれば、今ほど教育や医療に寄付金を投じずに済みますし、そのぶんをほかの慈善事業に回すことができます。もちろん、彼はその点は重々承知していると思いますが。とはいえ、アフリカ大陸からマラリアを撲滅したいという彼の意志も理解できます。

いずれにせよ、重要なのは、現代において政府が機能不全な社会で暮らすことは不可能であると、私たちが理解することです。とりわけ、中国のような戦略的な競争国が効率的な政府を作っているとあれば尚のことです。



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