全身麻酔が最初に利用されたのは、日本では1804年、西洋では1846年ごろと考えられています。歯科医のウィリアム・T・G・モートンがエーテル麻酔を開発し、1846年に頚部腫瘍の患者に対して全身麻酔手術を行ったことは西洋医学の大きな転換点となりましたが、一方で、実は「なぜ全身麻酔を施すと人は意識を失うのか」という理由は、長年、解明されていませんでした。そんな中、最新技術によって、この謎がついに明かされようとしています。
謎の解明に取り掛かったのは、米国科学アカデミーのメンバーであり、スクリプス研究所の会長である化学者のリチャード・ラーナー医学博士と同研究所の分子生物学者であるスコット・ハンセン博士。2人の研究者はナノスケールの超解像顕微鏡とショウジョウバエの生きた細胞を使い、実験を行いました。
これまでの調査で、麻酔薬の効果は脂質における麻酔薬の溶解度と関連していたことから、脳細胞の生体膜に含まれる脂質との関連性が考えられてきました。そこで研究者は、麻酔が生体膜に含まれるイオンチャネルと呼ばれるタンパク質に直接作用するのか、それとも過去に確認されていない方法で生体膜が信号を送るよう、麻酔が生体膜に作用するのかを確かめることにしたそうです。
5年にわたる研究の結果、まず、全身麻酔は生体膜に含まれる脂質ラフトという脂質クラスターを混乱させることが判明しました。ノーベル化学賞を受賞した顕微鏡技術「dSTORM」を利用して観察を行ったところ、細胞をクロロホルムにさらすと、GM1と呼ばれる脂質クラスターの集まる範囲が大きく広がったとのこと。そしてGM1が広がると、GM1はその内容物であるホスホリパーゼD2(PLD2)と呼ばれる酵素を放出し始めました。
研究者がPLD2にタグ付けを行ったところ、PLD2はGM1から別の脂質クラスターであるホスファチジルイノシトール二リン酸(PIP2)に向かいましたが、その動きは「まるでビリヤードのボールが放たれたかのよう」だったそうです。そしてPLD2によってPIP2の主要分子が活性化され、ニューロンの発火能力が「凍結」されることで、人は意識を失ってしまうのだとハンセン氏は説明しました。
研究者が生きたハエで実験を行ったところ、PLD発現が削除されたハエは、鎮静効果に対して耐性を示したとのこと。PLD発現が削除されたハエが鎮静効果を得るには、麻酔薬を2倍投与する必要があることが確認されました。一方で、PLD発現を削除することで完全に麻酔薬の効果がなくなったわけではないため、鎮静には他の作用も関わっていると考えられています。研究者は、今回の発見により、他の脳活動の謎を説明する手がかりにもなる可能性を示唆しています。