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それは地上の100万分の1。「微小重力」の環境が科学の発展をもたらす

地上の100万分の1の重力の世界。それはほぼ重力のない微小重力の世界。地球から約400km上空を飛行する国際宇宙ステーション(ISS)の一部、「きぼう」日本実験棟は、この微小重力の環境を利用しながら、科学や技術を進歩させ、地上の未来を切り開いている。

生命は地球の重力のもとでさまざまな進化を遂げてきた。だからこそ生命の謎・進化の過程を解くには、重力がない環境、すなわち微小重力の世界と比較して、初めて理解が進む。

「我々人類を含む生命は地球上で誕生して以来、ずっと重力が存在する世界で進化してきました。そのため、重力というベールを取り去ることによって、生物が本来備えている特性や、逆に重力にどの程度依存しているのかがわかるのです」と語るのは、有人宇宙技術部門・きぼう利用センターの白川正輝グループ長(*)だ。

「例えば、植物は地中に埋めても下に根が伸びる点で、重力を感知する仕組みが備わっています。また、メダカなどの魚類は微小重力下でも子どもの誕生が確認されています。では胎盤のある哺乳類ではどうなるか? 重力がなくても受精卵が子宮に着床するのか、胎盤が形成されるのかなどは、わかっていません。今後、微小重力下で哺乳類初期胚の発生能力を調べる研究が計画されています。もし、哺乳類の誕生に重力が必要となると、進化の過程のある時点で重力の存在が前提になったと言えます」

ここでは「微小重力」5つの大きな特徴を紹介しよう。

1:骨密度が変わるなどの身体の変化

私たちは普段、重力の影響によって、立っているだけでも自分の全体重が足にかかっている。また手足を動かしたり、文字を書いているだけでも、重りをもっているのと同様に、筋肉や骨が刺激を受け筋力が維持されている。ところが微小重力下では、自ら運動をしなければ筋力を維持することができない。自然にカルシウムが失われ、骨が弱くなることにより骨粗鬆症、筋肉が衰えることで筋萎縮に似た現象が起こる。

「微小重力下では地上の骨粗しょう症患者よりも、10倍早く骨量が減少すると言われています。ISSに滞在している宇宙飛行士たちは、地上に戻ったときに身体が適応できるよう、トレーニング器具を用いて、毎日2時間の運動が義務づけられています。近年では器具も進化し、ISS滞在前よりも筋力が増強されて帰ってくる人もいると聞いています」

老化(加齢)に似た現象の加速環境モデルととらえ、現在「きぼう」ではマウスを使い、骨や筋肉への影響を軽減する薬の開発に向けた研究や加齢に伴う生体変化の仕組みの研究が行われている。微小重力下は地上よりも影響が早く出るので、薬の効果の確認にも適している。

2:上下左右のない心の変化

微小重力環境下では、上下左右の感覚がなくなる。この地上とは違う感覚によって、人間の空間認識能力が変化することが分かっている。

「微小重力下かつ閉鎖的空間であるISSでは、どうしても空間意識の混濁が起きてしまいます。それを防ぐために船内に天井を認識させる標識を設置したり、光を一方面からに集中させるなどの工夫をして、方向を決めています」

地上から約400km離れたISS。地球には自分の意思では帰れない。加えてさまざまな人種、文化的背景を持った国際チームのなか、責任ある任務を遂行するという心理的なプレッシャーも大きい。そのため、宇宙飛行士のパフォーマンスが低下しないようケアするサポートはもちろん、「きぼう」では、地上でのサーカディアンリズム(体内時計)が微小重力下でどのように変化していくのかを検証する研究も行っている。

3:モノが均一に混ざる

微小重力を物理的に表現すると「重さがない」ということに尽きる。重さがないことでなにが起こるのか。わかりやすい例でいうならば、地上では時間が経つと、重さの違いで混ぜても分離してしまうドレッシングも、微小重力下では一度混ぜれば分離することがない。このような環境によって、均一な重さではない素材を合わせて作る高品質な半導体結晶生成技術の実験が可能になる。「地上では素材同士の重さの違いにより、完全に均一な半導体を作ることは難しい。そのため昔は”宇宙に工場を作れば大体のものは作ることができる”。そんな風に言われていましたが、まさに微小重力下にあるISSではそれが可能になるわけです」

「きぼう」での半導体実験が、コンピューター、計算機の新しい部品の開発に繋がることが期待され、現在、民間企業による実験も広がっている。実際に、半導体結晶実験の蓄積により半導体の記憶効率が上がり、携帯電話メモリの容量アップを可能にする高性能な材料が生まれている

4:容器なしで物質が浮遊する

微小重力下では、液体を容器に入れずに浮かせることができる。この特徴を活かした「きぼう」ならではの実験として、静電浮遊炉(ELF)での物質実験がある。ELFとは下敷きで髪の毛をこすると浮くのと同じ原理で、電極間に電力をかけて静電気力を蓄える装置を利用する。微小重力によって浮遊する物質の位置を静電力で制御しながら、電子の反発力で浮遊させた物質にレーザーを照射し溶解させ、その特性を測定するのだ。

「地上で2000℃を越える融点を持つ合金を溶かす場合、通常は物質を入れた容器も溶け出し、どうしても不純物が生じてしまいます。一方ELFは容器の影響を受けないため、物質ならではの性質の測定や合成が可能になります」

また、物質を浮かせる手段のひとつにリニアモーターカーのように磁気の力、電磁力もあるが、ELFのよいところは帯電しにくく、浮かせにくいセラミックスやガラスのような材料も浮かすことができること。「新しいガラスやセラミックスの研究にも使えるため、この浮遊炉で今まで地球上で見られなかったガラス製品、丈夫なプラスチックなどの工業製品の開発や研究と、応用範囲の広い実験が可能になり、民間からの関心が寄せられています」

5:液体は熱しても対流によって乱れない

重力下では水のように均一に見える物質でも、熱が加わると比重の違いが生まれ、対流が起こる。そして物質は対流や沈殿の影響を受けると、材料の組成の規則性が乱され、均質な物質を作ることができない。一方で重さのない微小重力下では、軽い、重いの区別がないため、液体は熱しても対流によって乱れることがなく、結果的に高品質なタンパク質の結晶化といった、良質な材料の生成も可能になる。

「人の体は100万種類以上のタンパク質でできています。高品質なタンパク質の結晶は、病気の原因菌より先に鍵をかけて病気を未然に防いだり、新薬の設計に繋がることが期待されています」

すでに「きぼう」では筋ジストロフィーやがん、歯周病などの治療薬に関連するタンパク質の結晶化実験を実施。得られた構造情報は創薬研究に貢献している。

また、ものが燃えるプロセスの厳密な観察も可能で、効率の良いエンジン開発につながるような研究も行われている。

* 白川正輝|有人宇宙技術部門 きぼう利用センター きぼう利用企画グループ長|香川県出身。きぼう利用戦略策定、利用テーマの公募・選定・評価、きぼう利用に関わるプロモーション、国際調整など、きぼう利用の成果創出・拡大のための企画・調整業務のとりまとめに従事。



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