Appleがこわくなる。
発売日に編集部に届いていたAirPods Proを2秒試聴、購入を決定した記憶は今も新しいです。即座に会社を抜けてApple Storeに買いにいきました(こうして記事になったので許されるはず…)。「買わなきゃ」という衝動を今年いちばん感じた製品です。
AirPods Proについては動画やレビューで語り尽くされた感があり「もうみんなが言うべきことを言ってくれたし書いたら負け」とまで思ってたんですが、やはり触れないのは嘘だと思いました。それくらいAirPods Proは強烈だったんです。
ただ、今になってみるとオーディオ機器として惹かれたわけではないなぁとも思います。イヤホンの形をしてるのに、ね。
聞こえる音を支配し続けられるガジェット
出会って2秒で即購入というのは、ぼくのAirPods Proへの評価を如実に反映した行動だなーと。2秒しか試聴していない、つまりは音質を大して確認せずに買ったわけです。じゃあ何が購入の決め手だったのか。それはずばりずっとつけてられそうな感じだったから。耳の形に合っていて違和感がなかったのがまず大きく、加えてノイキャンのノイキャン感とでもいいましょうか、少し耳に負荷がかかるような感触が苦手だったのですが、AirPods Proのノイキャンにはそれも感じませんでした。
結局、ぼくが求めていたのは音環境のコントロールだったのだと思います。編集者という仕事柄、原稿を書いたり校正したりと集中力が求められる作業が多いため、周囲の人の声や物音を常に消しておきたい。そのためにゲームのサントラやインストゥルメンタルをBGMとして流しておく。音楽は聴くけど、音楽試聴体験が主役になることはほとんどない。垂れ流し続けることを求めていたと。
AirPods Proのノイキャンは向かいの机の前で会話してる人たちの声を消してくれるほど、満員電車でも車内アナウンスしか聞こえないというくらいに効きます。誰かに話しかけられたら長押しして外音取り込みをONにすればOK。音楽はかけずにノイキャンだけ効かせていることもよくあります。最初に感じたとおり耳も疲れにくく、今ではオフィスにいる間はほぼずっとつけています。突き詰めると求めているのは「いらない音が消える」という体験。
Appleがこんな売り文句を使っていたことに今になって気づきました。
サウンドだけを感じよう。
音楽でも、Podcastや通話でも、聴きたいものだけを聴けるように。ノイズキャンセリングは連続して毎秒200回調節され、聴く人を包み込むようなサウンドを生み出します。
音質を推すような表現がないわけでもないんですが、快いものだけが残ること、そこに力点があるようにも見えます。
鬼のような機能性
バッテリーもちは公称4.5時間で、実際は4時間くらいが多いかなぁ。勤務時間中に1回は充電が必要になる形ですが、小休止とかのときにちょこちょこ充電しておけばなんとかなる感じ(充電がけっこう高速)。短く感じるのは、つけっぱにできてしまうからな気がします。iPhone、iPad、Macと接続先をフレキシブルに切り替えられるH1チップも当然の権利のように搭載しており、使いやすさがとにかく光ります。
音楽という体験を大切にしてきた人──音楽から得られる快感を積極的に引き上げたい人がAirPods Proに対して複雑な思いを抱いたのは自然なことなのかもしれません。ライター・ヤマダユウス型のレビューには「悔しい」と何度も書かれています。でも、彼の悔しさを裏返すとぼくの感動になるのです。彼のレビューとこの記事は表裏一体、言いたいことは同根、といったら怒られるかな…。
ぼくと彼のちがいは音から語るか、機能から語るか、じゃなかろうかと思うのです。
確かにAirPods Proは音楽を聴くためのアイテムです。ただ、その性能を評価していくと、オーディオ機器の要である音質が本質的な要素でないことが見えてくる。なんてパラドキシカル、そして残酷。あまりに美しく、優れたガジェットです。
もし「2019年にAppleが殺そうとしたもの」という記事を書くなら、そこに「ノイキャン完全ワイヤレスイヤホン」を入れたいくらいですね。